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【2024/10/06 15:25 】 |
踊り254
政治理念 [編集]
「協調と連帯」
「政治は最高の道徳」
岸信介の流れを汲み、「タカ派」と評されることが多い。
経済 [編集]
均衡財政志向の安定経済成長論を主張。
国際的に、黒字過剰問題の解決のために、内需主導型の経済運営による輸入を拡大など、市場の開放に努めるべきとした[6]。
1965年(昭和40年)、大蔵大臣として、不況による税収不足への解決策として、日本において初めて国債(赤字国債、当時で2千億円)を発行する。
外交 [編集]
外交理念として「全方位平和外交」を提唱。
アジア諸国との連帯を目指し「福田ドクトリン」を提唱。
中華人民共和国との関係について、「お互いに内政に干渉しないことが一番大事であり、それが守られなければ、『日中平和友好条約』が名ばかりのもの(名存実亡)になってしまう」という旨の見解を述べた[7][8]。
日韓両国に隣接する大陸棚の北部の境界の画定や大陸棚の南部の共同開発を定めた「日韓大陸棚協定」を批准。
歴史認識 [編集]
1978年(昭和53年)の終戦の日に靖国神社を参拝。「内閣総理大臣」と記帳し、「私的参拝」であるとした[9]。以降、4回参拝。
語録 [編集]
また造語・警句の名手として知られ、「狂乱物価」「昭和元禄」「視界ゼロ」「日々是反省」「福田内閣はさあ働こう内閣だ」「掃除大臣」など福田語録を残している。
関係する人物や団体 [編集]

統一教会・国際勝共連合
大蔵大臣在任中だった1974年(昭和49年)5月7日に、東京の帝国ホテルで開かれた、統一教会(統一協会)(世界基督教統一神霊協会)の教祖、文鮮明の講演会「『希望の日』晩餐会」(名誉実行委員長は岸信介元総理)に同僚議員の誘いで参加し、「アジアの偉大な指導者」と文鮮明を賛美し(統一協会のサイト[1]、韓国式の抱擁を交わした(当時の写真)。様々な社会問題で批判のあった統一教会に賛同を示すことに問題はないのかなど、国会でも度々追及を受けたが、福田は「文鮮明の思想はよく知らないが、自分の日頃主張する“協調と連帯”という考えを述べていたのでよかったと感想を言っただけ」、「パーティーや宴会ではちょっと輪をかけて話すんです。そのような環境のもとにおいて話したことで、そんなものを一々取り上げてそれを御質問されても、お答えすることはできない。」という旨の弁明をした[10]そして、福田は発言の内容について、「当時の記録がございますからよくごらんください」と述べていたが、衆議院の法務委員会で日本社会党の西宮弘が資料を要求したら、上村委員長からあいさつだから、原稿なしでやったのだから、記録があるはずがないという趣旨の報告がなされた[11]。
勝共連合については国会で「勝共連合が反共を旗印にしておる、そういう点に着目いたしまして自由民主党と勝共連合が協力的側面を持っておったということは、これは御理解願えると思う」、「余り勝共連合の中身につきましては承知しませんけれども、共産主義反対というたてまえについて共感を覚えている」と述べ、勝共連合の外国為替法違反や詐欺に該当するような資金獲得活動などの反社会的な問題を指摘された際は「そう悪いことを一般的にしておるというような認識でございませんので、一般的に調査するということは考えません。」と答弁。関係を断ったらどうかとの問いには「勝共連合についていままで持っておる認識に立つと、手を切るというような問題は起こり得ざることである。」旨の見解を述べた[12]。
児玉誉士夫らと並ぶ「戦後最大級のフィクサー」と称された大谷貴義との親交が深く、「福田の影に大谷あり」と言われた。政財界とアンダーグラウンドの世界に隠然たる力をもち、裏千家とも姻戚関係にあった大谷は、福田を首相にすべく、毎年代々木上原の千坪の豪邸に政財界の要人を招き、茶会を催していた。大谷の長女享子が、裏千家14世千宗室の子息・巳津彦と結婚した際には、作家の吉川英治夫妻と共に、福田夫妻が媒酌人を務めた。また、1991年(平成3年)5月に大谷が逝去した際には、葬儀委員長も務めている。
WWF(現WWE)格闘技世界ヘビー級チャンピオンアントニオ猪木を公私に渡り可愛がり、自身が媒酌人を務めた堤義明がオーナーたる日本プロ野球・パリーグ球団、西武ライオンズの初代名誉会長にも就任し1979年(昭和54年)4月西武ライオンズ球場初の公式戦で始球式を担当するなどプロスポーツ界との縁も深かった。
1987年(昭和62年)に、安倍晋三と電通社員の松崎昭恵の媒酌人を務めた。
1989年(平成元年)に、元陸軍中将の鈴木貞一が亡くなった際の葬儀委員長を務めた。
栄典 [編集]

1995年(平成7年)7月5日:正二位、大勲位菊花大綬章
家族・親族 [編集]

父 福田善治(政治家・元金古町長)
兄 平四郎(政治家・元金古町長)
弟 宏一(政治家)
妻 三枝(群馬県,新井文夫三女、元大審院判事新井善教の孫娘)[13]
長男 康夫(会社員、政治家・首相)
長女 和子(官僚、政治家越智通雄に嫁する)
次男 征夫(群馬県,伊香保温泉横手館へ養子入り)[14]
孫 越智隆雄(銀行員、政治家) 福田達夫(総理大臣政務秘書官) など
その他の親戚 櫻内幸雄(実業家、政治家) 櫻内乾雄(実業家・元中国電力会長) 櫻内義雄(政治家・元衆議院議長)など
親子二代の首相就任は、史上初めての例となった。
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【2010/11/02 22:46 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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